そして峯田和伸
はじめに聞いたパンクロックは銀杏BOYZの「エンジェルベイビー」だった。
もうその頃は峯田一人だったけど、とにかく関係なしにすごかった。銀杏BOYZも名前しか知らなかった。「エンジェルベイビー」のコメント欄には「峯田変わった」って声もあった。でも関係なしにすごかった。7分ちょっと、呼吸を忘れてたような感覚だったのと、冗談抜きで気付いたら泣いてた。
PVは丁度同世代くらいの男女とその家庭だった。
回りくどい表現とか、「察せよ」みたいな雰囲気がなかった。要するにまっすぐだった。
何かやらかしてみたい青年の衝動そのものだった。
よく言われるように社会やルール、理不尽な大人への反発心を持ち合わせていない「つまらない」子供だった自分には響いた。逆に!
そして徹夜する勢いで「SKOOL KILL」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」とかを何回も聴いた。その時自分はすごく感傷的だったから、それをうわぬりしてくれるあのまっすぐさや土っぽさが必要だったことに気付いた。
彼はほんとうはロックスターなんかじゃないような気がする。
これは一つのリスペクトで、彼のいいところは私たちと全く変わらない人間らしさが見えるところだ。
峯田の世界の男の子はいつも、失敗ばかりしているし、意中の子にはなかなか振り向いてもらえない。いっつもベッドかソファでひとりぼっちだし、挙句、「君のパパを殺したい」と想いふけったり、どっかのオシャレ野郎と待ち合わせしてた君を見て、帰りにCDを万引きしたりしちゃうんだ。
中でも大好きな詩
いまは苦しくても
いまは悲しくても
君がいるから そばにいるから
僕にはなんでもできる
you&i vs. the world 抜粋
簡単な言葉だけど、簡単じゃない、大きな、繊細な気持ちの詰まった言葉だと思う。
歳を取っても銀杏BOYZは多分ずっとそばにいてくれる。これからも救ってくれるんだろうな。
自分と、自分をつくった音楽のはなし
↑自分
小中高とふつうに生きてきました、人並みに失敗したり成功したりしながら。
そんな私に影響を与えた音楽の話をしてみようと思い立つ。
もともと、中学入る前は音楽は聴くほうじゃなかったし、言ってしまえば趣味も特技もないことに若干の劣等感をかかえていたようないなかったような、そんなくすぶり児童だった。
それで中学に入り、T.M.Revolutionに夢中になった。何でなのかは分からない。そっから親に必死こいて音楽プレーヤーをねだり、四角いちっちゃいのを与えてもらった。ハマった。
それを帯刀してから私は少し勇ましくなった。と同時に、スカし始めた。中学生だもん。
どこに行くにもイヤホン、部活に平然と遅れ、とぼとぼと田圃道を歩きながら音楽を聴いている自分を好きになった。
丁度高校受験の頃だった。ギターロックをみつけてしまった。
受験に落ちた。でもずっとこうだった。ああ、出会うべくして出会ったんだ、ロック、凄い。
友達のいない新学期、電車の中で聞くBUMPだけが救済だった。
ここから本題なんだけど、高校でハヌマーンと、バズマザーズと、というより、山田亮一の音楽を知った。無理に言葉にもしようとは思わないけど、完全に何かが新しく自分の中に生まれた感じがした。教えてくれたのは高校の先輩だった。そのひとのことも引っくるめて、全部、さっき言ったみたいに、出会うべくして出会ったと思う。高校の記憶と、山田亮一の音楽は直結してて、それぞれにちゃんと思い出がある。というか、せっかちな人のための簡易的な肯定の受け売りをあえてだけど、どれも頭の中で現実MV化がなされてしまっている。ような。小ぎれいな人生を歌っている訳ではないのだろうけれど、解釈は自由だという前提のもとに、私のあらゆる青春の記憶は彼によって綺麗にパッケージされている。汚いからこそきっと綺麗なんだとも思う。
分かるかな。とにかく、人格やら記憶やら、彼なしでは語れないし、音楽をもっと知りたいと思った私を大きすぎる知識とか歴史の海に深く潜るために背中を押してくれたのはこの人だった。
引き延ばして来たせいで水色になってしまった青い春を、ああ私もそうだったなあと、最後に思えて良かった。